犬身
作者 松浦 理英子
価格 2,100 円
出版社名 朝日新聞社
出版年月 2007/10/05
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    第59回 読売文学賞   受賞
あの人の犬になりたい。そして、人間では辿り着くことのできない、心の深みに飛び込んで行きたい。「自分は犬である」と夢想してきた房恵が、思いをよせる女性の飼い犬となるため、謎のバーテンダーと魂の契約を交わす。ところが、飼い主の家族たちは決定的に崩壊していた。オスの仔犬となった「フサ」は、彼女を守ることができるのか? 『親指Pの修業時代』から14年。今、新たに切り開かれる魂とセクシュアリティ。

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タウン誌「犬の眼」の編集者、八束房恵は、人を愛したことがなく、自分は半分犬なのでは、と思うほどに犬を愛している。取材で知り合った陶芸家、玉石梓と再会した房恵は、自分を負傷させてまで飼い犬の安全を守った彼女に惹かれ、交流を深めるうちに「あの人の犬になりたい」と願うようになる。房恵に興味を持ち、自らを魂のコレクターだというバーのマスター、朱尾献と死後の魂を譲り渡す契約を結んだ房恵は、オスの仔犬、フサとなって梓と暮らしはじめるが、梓の家族関係がいびつに崩壊していることを知る。

梓を苦しめる人間にできるのは、吠えることだけ。そんな自分に無力感を感じながらも、フサは、何も求めない、穏やかな愛を与えることで、犬なりに彼女を守ろうとする。飼い犬のように愛し、愛されたい房恵=フサは、梓の、これまで誰も入り込めなかった心の深みに入り込めるのだろうか? セックスの介在しない愛は、房恵自身を、満たしてくれるのだろうか?

松浦理恵子は、1978年に『葬儀の日』で「泣き屋」と「笑い屋」の愛を描いて文学界新人賞を受賞した。その後も、『ナチュラル・ウーマン』では女性同士の愛、『親指Pの修行時代』では親指がある日突然ペニスになってしまった女子大生の性遍歴と、一貫して、あまり一般的ではない愛を描いてきた。7年ぶりの長編小説である本作では、主人公が犬になることで、また新たな性と愛の可能性をひらいた。2008年度読売文学賞受賞作である。(取理望)


■読者の評価     おすすめ度平均

犬の気持ち       おすすめ度
人間が犬に変身?なんて無理ムリな設定を一気に読ませてくれる作者に脱帽です。
犬の小説、楽曲などなど、いぬずくしなところもほほえましい。
猫派のわたしですが、堪能しました。


丁寧な描写で犬好き必読       おすすめ度
「お互いが好き」が全てである純粋な関係を描くために、男×女でもなく、女×女でもなく、このようなファンタジックな設定を作者はとったのかな、と思いました。犬になった主人公のしぐさ、動きの描写がとても丁寧で可愛らしい。彼(彼女?)の中には、本当に飼主を思う気持ちしかないのです。
 飼主の梓を取り巻く病理自体は、極めて現代的で、他の小説でもありえるのだけれども、ここにメフィスト的な超現実を重ねて、読ませるのが作者の飛びぬけた力量ですね。
 私は梓のような女性は余り感情移入できませんでしたが、ラストシーンはとても美しく、良かったな、と思いました。謎の狼人間(?)朱尾の心の動きも非常に細やかに描写されているのですが、謎は謎のままで、でもそれでいいような気もしました。
 


「あれかこれか」からゼロへ       おすすめ度
一気に読めてしまう通俗性を兼ね備えつつ、松浦さんが考えていることはものすごいのだというのは「親指P」以来の読者でありながら「裏ヴァージョン」で始めて感じたことでした。この小説はその極限にきているようです。

御大・蓮実重彦さんのように、そこに三角関係の構図を壊そうとする「構造」を読み解き、さらに「構造」におさまらない「細部」として、自転車や狼との交流の描写を言祝ぐこともできましょうが(「小説トリッパー」2007年冬号だったかな)、気になるのはより一般的にジェンダーのことでした。

性器ではない性を求めた「親指P」、愛ではない心の交流を求めた「裏ヴァージョン」。本作では、性ではない魂のふれあいを求めているようです。つまり「あれじゃない、これでもない、それでは・・・」と迷い続けるのが今までの作風だったとすれば、「あれでもなく、これでもない、端的に何でもない」=ゼロの地点にたどりついた?

男と女ではなく、女と女でもなく、人間と犬。セックスではなく、愛撫でもなく、性ではない愛情。ジェンダーなし、差別なし、関係なし。

松浦さんはその後の対談(対星野智幸、対川上未映子)で「個人と個人の違いがあることが苦しい」といっています。関係のないところで生まれる情愛やふれあいが、現象学的な主客未分の同根思想とどう関係するのか、気になるところです。


生々しさのあるファンタジー       おすすめ度
著者の作品は「親指P〜」以来。
どちらにも性的な生々しさとファンタジーが共通しているが、
この作品では生々しさの方が強く感じられたのが少し残念。

犬好きな人間が犬好きな人の犬になる、というファンタジーが軸だが、
周りの人間たちの愛憎劇(家庭崩壊、失踪、近親姦)が濃すぎて
ファンタジーの楽しみやそこにある喜びが薄まってしまった。
もっともっと犬の身になった人間(半人半犬)のファンタジーを
膨らませてほしかった。
主人公と同じく、犬を羨ましく思う私の願望のせいかもしれないけれど…。

ラストがせめてもの救いか。


魂のレベルで肉体を語る       おすすめ度
著者が一環して描いてきたテーマは「性愛」と表現されがちだし、私自身も一言で表せと言われれば迷った挙句結局「性愛」と答えると思うのだが、この言葉が的外れでないにしろどうもしっくりこない気がいつもしていた。この作品ではそれが特に顕著に感じられる。
『犬身』は自らを「種同一性障害」「ドッグ・セクシュアル」であるとする主人公・房恵が(比喩ではなく)犬になる物語だが、彼女が飼い主である梓に抱く愛情には恋愛感情に伴うような嫉妬心と無縁だし、男が女に、女が男に、あるいは男が男に、女が女に抱くような性的欲求もそこにはない。
ただ、「撫でられたい」という欲求、撫でられることに肉体的な「心地よさ」――それはいわゆる「性的な」反応と酷似している――を感じるだけだ。梓と房恵の間に通う無言の情感の濃密さは、定義によっては「恋愛」の範疇に入りそうでも、入らなさそうでもある。
つまり性別どころか種の枠組みさえ簡単に取り払い、肉体を超えたところでなお肉体的快楽についても言及しようとするこの小説では、「性的〜」という言葉そのものがそぐわないのかもしれない。
近親に対して性的欲求を感じる人間は性別の意識が極めて強い、という仮説が作中に登場するが、梓の兄・彬はその意味でこの作品が取り払おうとしている枠組みそのものとも捉えられる。朱尾が、房恵の梓への性的態度に注意深くなるのも、性的な枠組みに囚われることで房恵の魂が肉体に囚われることを懸念するからかもしれない。