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■読者の評価
おすすめ度平均
砂丘が動くように おすすめ度
海沿いに砂丘のある北陸の町を舞台に、魅力的な登場人物たちを通して、日野啓三が総ての万物に通じる真実を描こうとする作品。
物語の初めでは、「私(=ゴースト)」が一人称で進められていたのに、途中から一人称が「ビッキー」に変わり、そして形而上的視点から「きみ」と「少年」のことを呼ぶ視点に変わり、最後は「盲目の姉」が一人称となりますが、そういった視点の切り替え方が新しく、筆者は主人公を一人に固定することを敢えてせずに、それぞれの登場人物の中にある、それぞれの宇宙というものを表現しようとしていたのではないかと思いました。そしてそれら個々の宇宙(意識)は、結局のところ離反したものでは無しに、一番深い所で、一つに繋がっているということを感じました。
また、筆者の無機物的なものへの偏愛というのは、ビッキーの思想に憑依していると同時に、彼自身の汚濁を濾過して汲み取られたような、無駄なき透明な文章からも伝わってきました。そしてそれはまるで、凝り固まった泥ではなく、一文字一文字が一粒の砂であり、正に「砂丘が動くように」、文章自体が自然な流れで進んでゆくのを感じました。
情景、というより「私(ゴースト)」が、街に到着し、街を観察する時の描写が凄く好きです。本当に実在する街を舞台に書かれたものなのでしょうが、綺麗で美しい現実的な描写です。こういった実在のリアルの隙間から、徐々に逸脱し超現実的な場面へ至るのですが、まさに日野氏ならではの真なる意味でのリアリズム、つまりシュールリアリスムの表現です。このように、日野氏の作品は、幻想的な表現を用いても、それが現実と離れずに、寧ろがっちりとコミットしているのが凄く魅力的です。これぞシュールリアリスムの大家たる所以ですが、氏の思想をさらに深く理解する為にも、これからもっと氏の作品を読んでゆきたく思います。
物語の初めでは、「私(=ゴースト)」が一人称で進められていたのに、途中から一人称が「ビッキー」に変わり、そして形而上的視点から「きみ」と「少年」のことを呼ぶ視点に変わり、最後は「盲目の姉」が一人称となりますが、そういった視点の切り替え方が新しく、筆者は主人公を一人に固定することを敢えてせずに、それぞれの登場人物の中にある、それぞれの宇宙というものを表現しようとしていたのではないかと思いました。そしてそれら個々の宇宙(意識)は、結局のところ離反したものでは無しに、一番深い所で、一つに繋がっているということを感じました。
また、筆者の無機物的なものへの偏愛というのは、ビッキーの思想に憑依していると同時に、彼自身の汚濁を濾過して汲み取られたような、無駄なき透明な文章からも伝わってきました。そしてそれはまるで、凝り固まった泥ではなく、一文字一文字が一粒の砂であり、正に「砂丘が動くように」、文章自体が自然な流れで進んでゆくのを感じました。
情景、というより「私(ゴースト)」が、街に到着し、街を観察する時の描写が凄く好きです。本当に実在する街を舞台に書かれたものなのでしょうが、綺麗で美しい現実的な描写です。こういった実在のリアルの隙間から、徐々に逸脱し超現実的な場面へ至るのですが、まさに日野氏ならではの真なる意味でのリアリズム、つまりシュールリアリスムの表現です。このように、日野氏の作品は、幻想的な表現を用いても、それが現実と離れずに、寧ろがっちりとコミットしているのが凄く魅力的です。これぞシュールリアリスムの大家たる所以ですが、氏の思想をさらに深く理解する為にも、これからもっと氏の作品を読んでゆきたく思います。
世界の全体像へ おすすめ度
日野啓三の中期代表作。同時期に「夢の島」という傑作があるが、そちらが時系列に沿ってひとつの想念を凝縮し膨張させてゆくのに対し、本作はイメージが随所に錯綜し、重層的な構造を持っている。砂という個の集積によって存立する砂丘が、防砂林によって泥土化し死滅してゆくことへの哀しみが全編に貫かれている。しかしその哀しみは、自然対人間、あるいは共生といった陳腐な観念に縛られることなく、有機物、無機物、意識、無意識を統合した、まったき「世界像」を顕在化させてゆく。ひとつひとつの情景は幻想的だが、通底して鳴動し続ける日野啓三の想念がひどくなまなましい。少年の意識の変容を捉えたシーンは圧巻。
砂丘をめぐる奇妙な人間模様 おすすめ度
北陸のある町に何かに憑かれたようにやってきたフリーのルポライター。街を彷徨する彼はそこで不思議な少年に連れられ、砂丘に出会う。しかし、その砂丘は泥化して死にかけていた……。超能力をもつ少年、その盲目の姉、ビッキーと呼ばれる女装する若者。砂丘を生かすのか、生活のために殺すのか。砂丘をめぐる奇妙な人間模様を幻想的な筆致で描く。
作者の砂丘に対する思い入れが強いせいでしょう、砂丘をめぐる人々の描き方が多少一面的になっており、砂丘を守る人=善、砂丘をつぶす人=悪、という図式になりすぎているきらいがあります。砂丘の美しさと人間の醜悪さを対比させるのは良いのですが、生活のために砂丘を囲いこまざるをえなかった人々の苦悩と決断みたいなものにもっと迫れば、もう少し深みが出たのではないでしょうか? 少し残念な作品。

