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ただ、生涯独身でも「それでも、人生は美しい」の心が欲しい。
共に、共感できる人が側にいれば、「より、人生は美しい」だろう。
孤独である事を、「寂しい・・・」と思う、「その心」が寂しい。
なぜなら本来、人は、常に孤独だからだ。
孤独を楽しむ能力こそが、人生を楽しむ力である。
誰かを「緊縛」したいのか?したくないのか?出来ないのか?
意識的に「緊縛」したことがあるのか?その時何を思ったのか?
生きていく中で、無意識的に他者を「緊縛」してしまう事があると
いうことをどう考えているのか?
「緊縛」された自己を認識して、何か変化があったのか?なかったのか?
読んでいく中で、様々な疑問が沸いてくる。
そして、その疑問はそのまま自分に跳ね返ってくる。
「お前はどうなんだ?」と。
次々と沸いてくる疑問に対する答えは、この本には出てこない。
自分なりの答えを模索していかなければならない。
そういう意味で、噛めば噛むほど味が出てくる作品だ。
この本の評価そのものも、自分なりの答えを見つける度に
上がってくるのだろう。
もっともらしい答えが書いてある本に飽きた時、この作品を
手に取ってみてほしい。
日ごろの、考え行動する主体としての自意識と、メディアの中の女とが、実感として全くリンクしないのだ。
『緊縛』の主人公は32歳の独身女で、「自己の不確定感」を繰り返し表出し、作品構成の素材には「不倫」「過去の母親との不和」「生きがいのなさ」がある。メディアに溢れかえるこれらの中年独身女の要素と、要素としては完全に一致していながら、この主人公は、とてもリアルに感じられた。
作品の最も大きな特質であり、魅力となっているのが、この現実感である。
現実感は、主人公に与えられている「自己認識力」の確かさ、換言すると1人称の語りの大人性に支えられている。
繰り返される「不確定感」は、作中の登場人物にも、読者にすら「訴え」られてはいない。制御された平明な文体と、時系列の簡明な構成。さらに、主人公の引き籠り気味の生活という設定に、「他者とのドラマ」ではなく、「自己責任のドラマ」をリアライズする作者の意図を感じる。
他人と多様に関わりつつも、依存しきるわけにはいかない。
過去に人格決定の要因となる痛みがあっても、遡って駄々をこねるわけにいかない。
事件が起こって一瞬にして生活が展開したり、救世主が現れて事件を収束したりはしない。
未熟で不確定であっても、自己責任で自分を抱えて生きていく。時流に乗りつつ生き抜いていく。
これが、大人としての当たり前の主体的な現実感である。
既婚・非婚に関わらず、性別に関わらず、目的意識の有無に関わらず、未熟さや不確定感を自己責任で抱えて生きる。
そういう徹底した主体的現実感をもった中年の独身女は、意外に描かれてこなかったはずである。「不倫」や「自己の不確定感」という要素に惹かれて読むこともできる作品だが、それらの枠組みを超えて、大人としての語りを感じることのできる普遍性をもった作品でもある。その点で、同種の要素で構成される多くの作品の中で、際立つ。
仮に結末部分の意味が腑に落ちないと感じたならば、「不確定感」に満ちた主人公の行動としてではなく、「不確定感」を抱えきった大人としての主人公の行動として再読することをおすすめしたい。未熟で不確定な状態であって、自己責任において生きている大人は、人生の一瞬に善い行いをなし得るということである。
