百鬼夜行―陰 (講談社ノベルス)
作者 京極 夏彦
価格 1,082 円
出版社名 講談社
出版年月 1999/07
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■読者の評価     おすすめ度平均

そして彼らはあの日を迎えた…       おすすめ度
京極堂シリーズの脇役たちに焦点をあて、
彼らがあの事件のとき、あの事件に至るまで、
何を思い、どうその日に辿り着いたのかが描かれていく。
『姑獲鳥の夏』の久遠時涼子
『絡新婦の理』の杉浦隆夫、平野祐吉、山本純子などなど…、
本編だけではわからなかったそれぞれの一面が見えてくる。
だからこそ、本編を読んでからの方が、「あぁ、そうか」と、
思えるハズ。
本編の重厚さを求めて読み始めてしまったため、ある種の物足りなさを感じてしまったものの、これはこれとして違う楽しみ方ができる。
我らが関口巽が主役の「川赤子」も必見。


京極堂もののサイド・ストーリー       おすすめ度
1995-1999年に、「小説現代」に不定期掲載された9編に加え、愛読者おなじみの関口巽を主人公とした最終編「川赤子」を書き下ろしで追加した短編集。京極夏彦の作品は、京極堂ものについては最初の「姑獲鳥の夏」以来発刊順に読んでいかなければ作品理解に不具合を生じるという難儀な特徴がある。本書も過去6作の登場人物が織りなすサイド・ストーリーであることから、いきなりここから読み始めることは止した方がよい(もっとも、「本編」の方のネタが割れてしまうことはない)。

いずれも、「本編」の方では描ききれなかった、登場人物たちの人生模様を怪談風に描いた作品である。長い作品の中では数行で片付けられるようなエピソードにも、本人にとっては深刻な事情があり、当人や縁者の人生において深い傷に(しばしば致命傷に)なったのだ、というお話である。作品の質はおおむね高く、とくに「鬼一口」における鬼の定義論は大変興味深かったが、あくまで多くは「カストリ雑誌の実録」といった題材であるため、読み物としては軽い部類に属する。

長編に疲れた頭を休めるための短編集、といってよいと思う。



陰。       おすすめ度
京極堂シリーズに登場してきた様様な人物の「過去」の話集です。
作中に出てきた「なぜ」が解き明かされ、より京極堂シリーズにはまってしまうと思われます。
「なぜ」とも何とも思っていなかった人物のとある行動が、
実は過去の出来事等によるものであると公開されてしまうため、
過去の事件に関して新たな思想が生まれて、また改めて過去作品を読み返してしまいました。
京極の術中に見事に陥りました。

宗教・心理・精神、、様様な切欠でどれも酷似していないって辺りも凄いし
「人間っておもしろいな」と沁沁思えました。

はまってください。陰('ー`*)



語り口のうまさはあるが・・・       おすすめ度
妖怪の名前を表題にした連作短編集。数年にわたって断続的に雑誌に掲載された短編をまとめたもの。各編異なる人物設定のもとに描かれており、テーマや時代設定は共通するものの、作品間のつながりはない。舞台は京極堂シリーズと同じく、終戦後しばらくたった昭和20年代後半。最後の「川赤子」のみ京極堂シリーズに登場する作家「わたし」を主人公とする。

妖怪をテーマにするとは言っても、作中、妖怪そのものが登場するわけではない。怪異は起こるが、各編の主人公たちの精神が見せた幻想だったり、環境や人の生み出す業だったり、判然としない。

著者の他の作品と同じく、時代がかった文章の語り口はうまく、雰囲気のある各編のストーリーはひきこまれる。著者のストーリーテリング巧みさは感じられる一方で、どの作品も作中で解決されずに終わってしまうためか、強烈な印象を残すだけのインパクトがある作品がないようにも思えた。



表紙に「妖怪小説」と書いてあります。読ませますねえ。       おすすめ度
冒頭、ある妖怪が引き合いに出され(江戸時代などの草紙モノから妖怪の図やその説明文がコピーしてあり、これはこれだけで楽しめるものです。その絵の中に「何が描いてあるか」「どうしてそれがあるのか」という判じ物でもある、とは別の京極先生の本で読みました)、その後ストーリーが語られ、読後、読者は「ああ、こういうことで、妖怪って生まれたんだ」という感想を持つに至る仕組みです。主人公はあくまで人間ですが、その人の経験、思い、それが嵩じた妄想などが「妖怪」を生むというか、妖怪に至る、というものです。ですからこの本は「妖怪小説」と表紙にありますが、妖怪そのものは何もせず、ただ、登場人物の目に映るだけです。それは「狂っていく」過程でもあるのでしょうか。この本は10編の短編集ですが、それぞれのお話や登場人物は、別の大きな小説に繋がっていたと思います。それにしても京極先生は「戦後」の混乱期がお好きですね。やはりその頃は、価値観とか社会秩序とかが解体されたり、衝突したりで、一種不思議なエネルギーとか情念とかが渦巻く時代だったからでしょうか。分厚めの本ですが、京極先生のほかの小説と同じく一気に読めます。それから京極先生の趣味で、やたら漢字が使われますので、漢字検定試験の練習にもなるかも。