花腐し (講談社文庫)
作者 松浦 寿輝
価格 490 円
出版社名 講談社
出版年月 2005/06
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    第123回 芥川賞   受賞
『花腐し』芥川賞受賞作。多国籍な街、新宿・大久保の片隅、夜雨に穿たれた男の内部の穴に顕現する茸と花のイメージ。少女の肉体の襞をめくり上げ見える世界の裏側。腐敗してゆく現代の生と性の感覚を鋭く描く「知」と「抒情」の競演。

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■読者の評価     おすすめ度平均

寿輝って名前カッコ良いけど、顔は吉本芸人風不細工       おすすめ度
寿輝って名前カッコ良いけど、顔は吉本芸人風に不細工だよね。
寿輝のエクリチュールはカッコ良いけど、評論とエッセイと小説がダサイよね。詩は例外的にカッコ良いけど。結局、中味の濃度が薄いのが欠点。
批評は結論を回避する、ダラダラとした文体で、何が言いたいのか自分自身わからん様子だし、小説は心に染み入るところがまったくないし、文体が多和田葉子などに比べると決定的に弱い。
詩は悪くないが、現代日本を代表する詩人かというと、もっとすごいのがまだ数人いるので、そうでもない。
結局、本書も悪くはないが、別に文学史に残るほどの傑作でもないし、寿輝という能弁な才能人は器用貧乏的なところがあって、何をやっても結局一流になれないひとである。


松浦寿輝の本「方法序説」のレビュー       おすすめ度
本書は昔風に言えば自著解題。著者は自著では「野暮と真剣」を避けてきたと述べる。これは著者のお師匠蓮実滋彦の表層批評の物真似。師匠蓮実と同輩の四方田犬彦にあって松浦にないのは、真の表層批評の実践力。松浦の詩も小説も、批評も、逸話を垂れ流して量的に肥大するだけで、対象に真摯に取り組まない。そこでは確かに「野暮と真剣」は回避されるが、対象への真摯さがない。蓮実四方田にあって松浦にないのは、対象と真摯に向き合うことで、誰も気づかなかった対象の新しい魅力を発見することである。松浦は、だらだら贅言を費やして、自己も他者も韜晦させる。本書では、松浦の不誠実な韜晦の「やりかた」がよく自己解明されている。しかし一見頭の良さそうな松浦本人が自己韜晦のあまり、そのことに気づいていない。これでは松浦アヤヤ。


人生の途中で“彳(たたず)む”小説       おすすめ度
 「ひたひたと」「花腐し」の二編が収められている。二編に共通して出てくる象徴的な言葉「彳(たたず)む」。松浦寿輝の小説は、人生の途中で“彳(たたず)む”小説である。「ひたひたと」で主人公はこんなふうに語る。「時間っていうのね、流れないんです。〜残留している。人間の記憶なんていうものはね、その場に現にあるもののことなの。思い出じゃないんだ。イメージでもない」。つまり、過去も現在も「全部いちどきに今ここにいる」。日常の忙しさにかまけているとそれに気が付かない。でも、人生のある瞬間、過去への回路がいきなり開けることがあるものだ。ずっと親友だと思っていたあの男のことを実は出遭った時から憎んでいたこと、そしてあの男も自分のことを憎んでいたのだろうという確信。今はもうここには存在しない女が、想えば何時のときも自分を赦してくれていた、それなのに自分はいつもその女を傷つけていた、という悔恨。
 「ひたひたと」の“とまれみよ”、あるいは「花腐し」の“フリダシニモドル”。そんな人生を“彳(たたず)む”べき時のサインに人は果たして気付けるかどうか?松浦寿輝の小説、それ自体も、そんなサインのひとつのような気がする。


閉塞感       おすすめ度
読んでいて息苦しくなるような作品です。2編の作品が収められていますが、いずれも主人公は同じ場所をグルグルと回るばかりで、出口はどこにも見あたりません。
主人公の内奥もまた逡巡するばかりで、出口はありません。それ以前に出口を探してすらいないのです。この状況から「抜け出す」ことと「出て行く」ことは違うのでしょうか。救いを求めるのでなく、ただ僥倖を漠然と期待しているだけ。そこにあるのは途方もない閉塞感ばかりです。