グランド・フィナーレ (講談社文庫)
作者 阿部 和重
価格 490 円
出版社名 講談社
出版年月 2007/07/14
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■読者の評価     おすすめ度平均

共感は抱かないけれどリアル。自分を投影できないけれど主人公の葛藤は刺さる。       おすすめ度
昨年に比べあまり話題にならなかった第132回芥川賞受賞作。
ロリコンの男が趣味が高じて幼女ポルノのビジネスに手を染め、
その結果、妻を失い、最愛の娘を失っていく。
ビジネスに付随して犯してしまった罪が明らかになっていく中で、
落ちるとこまで落ちていく前半と、
友人の言葉そして刹那的な悲壮感の漂う双子のような少女2人との出会いにより、
過去に犯してしまった罪の真の深さを理解し、
おぼろげながらも自分が次に進むべき道を見つけていく後半、全2章。

共感は抱かないけれどリアル。自分を投影できないけれど主人公の葛藤は刺さる。
そんな内容。村上春樹が「医者も、本屋も、政治家も、女子高生も、
なったことはないけれど、その人の気持ちはかける。だから小説家をやっている」
といったことを昔あるインタビューで話していたことを思い出した。
作者本人がどこまでこの主人公と嗜好が近いのかは全くしらないけれど、
ここまで描けるのはさすがだな、と。

エンディングは突然で賛否両論分かれそう。多少救われそうであったことはよかった。
フラストレーションがたまる手前の良いタイミングで種明かしの情報が提供されていくので、
テンポがよく一気に読める。わかりやすく文章も短いので、悪くないのではないでしょうか。


芥川賞って何?       おすすめ度
「グランド・フィナーレ」は、阿部和重の小説の中で、決して出来のいい部類の小説ではない。「インディヴィジュアル・プロジェクション」の方がはるかに完成度が高いし、デビュー作の「アメリカの夜」の方がずっと阿部らしい。「シンセミア」の方が小説としてはずっと面白い。全体、芥川賞、直木賞といったものは、どういった基準で選んでいるのか首を傾げるものが多い。横に並べて選んでいるのか。この作品を読んで物足りないと思った人は、前に挙げた小説を読むことを薦めます。


「文学」は彼に追いつけない       おすすめ度
「文学が、ようやく阿部和重に追いついた」

こんなキャッチコピーが『グランド・フィナーレ』のハードカバー出版時の帯には記されていた。

デビュー作『アメリカの夜』、『トライアングルズ』、『ニッポニアニッポン』で立て続けに芥川賞候補となったが、落選し続けた無冠の帝王は、『グランド・フィナーレ』で「ようやく」2005年に芥川賞を受賞したのである。

この前年、2004年に『シンセミア』で第58回毎日出版文化賞第1部門、第15回伊藤整文学賞小説部門をW受賞するほどの力量を持つ阿部和重なのだから、慣例的に「新人賞」である芥川賞の中でも、本作は抜きん出た完成度であった。


内容はロリコン男の話。 いかにも阿部和重が得意なジャンルである。

文庫版の解説で、阿部和重に最も影響を与えたとされている作家高橋源一郎が、非常に興味深い解説を行っている。

この主人公のロリコン男は、確かに、不快で、最低で、異常である。

が、何か「ヘン」なのだ。

不快で、最低で、異常なんだけど、いわゆる『小説』っぽい不快さ、最低さ、異常さではない。 何か「ヘン」。ものすごい「違和感」がある。
その「違和感」を、読んで体感してほしい。

この作品では、いわゆる「大きな事件」が勃発し、「大どんでん返しのストーリー」は、展開されないのだ。いわゆる「小説」に書かれているような。

もはや阿部和重は「小説」を超えた「小説」を書いている。

その意味がわからない輩が阿部ちゃん作品を読んでも「なにこれー超中途半端な終わり方なんだけどー。マジつまんな〜い。」で終る。

阿部和重。そんな『文学』は置き去りにして、突っ走り続けてくれ。





映像から文学へ       おすすめ度
『シンセミア』とか『ニッポニア・ニッポン』との関連で読むのも楽しい芥川賞受賞作。しかし、この人の作品はとにかく構成が凝っていて、それが本当にすばらしい。もちろん、ロリコン男の贖罪の話ではあるけれど、そんなことよりも、1から2への展開がすごい。とりあえず、それを映像から文学へと考えられます。

1では、教育映画の監督であった男は、映像に関わる仕事についたばかりに、ロリコンという己の性癖に目覚めてしまい、その機会があるからこそ、どんどんはまっていく。映像の誘惑する力にとらわれていきます。友人たちも、世界の出来事のリアリティを映像によってしか持てず、しかもそのうさん臭さも感じてしまっていて出口がない。映像から逃れられない帰結として娘との別離があるようです。

最愛の娘と離れ、さらにそのようなトラウマで自殺する子もいることを知った2では、映像から離れて言葉へ、つまり文学へと向かいます。少女たちの見えない哀しみを思い、見えない結末(死)へと進む少女たちに対して語ろうとする。「フィナーレ」といいつつ、開幕で終わるのも、見えないものを残しておく文学の世界らしい終わり方です。

さすが映画批評もこなす小説家の面目躍如でしょうか。


ナボコフが高橋留美子に出逢う時       おすすめ度
ストーリーは、主人公が重度ロリコンかつ二次元依存症という以外ほとんど漫画チック。まるで高橋留美子の短編のような、、、「わたし」は娘も仕事も失ったダメ男。生きる意欲さえなくして戻った故郷の町で出会った複雑な背景を持つ2人の美少女。「わたし」は自らの贖罪と再生を賭け美少女を助けようとする、、、というわけで何とも阿部和重っぽくない、かつ普通「文学」ではまず採用されないストーリーです。
ちなみに、阿部和重はナボコフにちょっと似てると思います。ロリコンを描いているからではなく、現実/虚構の狭間を探るというテーマを追求するところと、そのテーマを各種各様の舞台にて語るというスタイルが。「シンセミア」の舞台はJエルロイ的陰謀渦巻く虚構の歴史の街でしたが、今度の舞台は高橋留美子的メロドラマ、それにいつものテーマを注入してしっかり「文学」にしてしまっているのはさすが。しかもラストでは、ロリコン/二次元依存症という運命に立ち向かう「わたし」の姿に泣けてきました、、(「メロドラマ」としてはここで終わるしかないでしょう、、、)
もはや阿部和重は、構成、文章、テーマ、語りのスタイル、文学理論等全ての面でほとんど「巨匠」の域に達しているのでは?少なくとも今の私の文学の先生です。