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■読者の評価
おすすめ度平均
ポリフォニーが織りなす物語 おすすめ度
坂東眞砂子の作品には、独特の臭気が漂う。この作品も然り。
鎌倉時代の日本とモンゴルが台頭する宋時代の塔克拉瑪干沙漠。活字を追っているうちに、繁栄と貧困、
人々の活気と死臭が漂う鎌倉の匂いと、熱風と砂嵐の匂いに包まれた塔克拉瑪干沙漠を、時空を超えて
往来しているような錯覚にとらわれる。
この本は、二つの土地を往来しながら、「色即是空、空即是色」を通奏低音とするポリフォニーとなっている。
「色即是空、空即是色」を唱えながら対極的な禅のあり方を目指す宋の宗教家、蘭渓道隆と沙依拉夢。
沙依拉夢と立場は違いながら「色即是空、空即是色」を無意識に生きる女、傀儡の叉香(「釈迦」と同じ音)。
叉香と対極的に「色」を実在として、愛する者を失った憎しみに生きるいぬと愛するものに従って
生きようとする円常尼。いぬと敵対しながら、同じく執権北条時頼に対する憎しみに生きる三浦家村。
そして、操る者と操られる者(傀儡)。
この対位法に様々な人が絡み、登場しながら物語は進んでいく。
「色即是空、空即是色」という通奏低音にはまた、この時代全体に漂う諸行無常の思想、
そして全ての人事は蜃気楼のようなものだという全体を包み込むテーマと響き合っている。
鎌倉時代の日本とモンゴルが台頭する宋時代の塔克拉瑪干沙漠。活字を追っているうちに、繁栄と貧困、
人々の活気と死臭が漂う鎌倉の匂いと、熱風と砂嵐の匂いに包まれた塔克拉瑪干沙漠を、時空を超えて
往来しているような錯覚にとらわれる。
この本は、二つの土地を往来しながら、「色即是空、空即是色」を通奏低音とするポリフォニーとなっている。
「色即是空、空即是色」を唱えながら対極的な禅のあり方を目指す宋の宗教家、蘭渓道隆と沙依拉夢。
沙依拉夢と立場は違いながら「色即是空、空即是色」を無意識に生きる女、傀儡の叉香(「釈迦」と同じ音)。
叉香と対極的に「色」を実在として、愛する者を失った憎しみに生きるいぬと愛するものに従って
生きようとする円常尼。いぬと敵対しながら、同じく執権北条時頼に対する憎しみに生きる三浦家村。
そして、操る者と操られる者(傀儡)。
この対位法に様々な人が絡み、登場しながら物語は進んでいく。
「色即是空、空即是色」という通奏低音にはまた、この時代全体に漂う諸行無常の思想、
そして全ての人事は蜃気楼のようなものだという全体を包み込むテーマと響き合っている。
宗教の意味、求めるもの おすすめ度
舞台は、北条氏が実権を確実なものとした時宗の時代です。
物語には、二人の主要な宗教家が登場します。
沙依拉夢というタクマラカン砂漠から陸と海の絹の道を辿って日本にやってきた人物、それと同様に大陸からやってきて鎌倉政権にしっかりと食い込んだ蘭渓道隆禅師です。
これ以外にも、日蓮を初め、多くの当時の宗教家の名前が登場し、教義は同じでも、それぞれの考え方の違い、求めるものの違いが、明確にされてゆきます。
一方、三浦氏を全滅されて、時宗を敵と狙う三浦家村と、その家村に村全体を虐殺の嵐で失い、家村を仇と狙う百姓夫婦が登場します。
更には、この物語で大きな役目を果たす傀儡子の男女が登場します。
沙依拉夢は、「色」の中の「空」を、無我の境地を追求します。その一つとして、念仏や踊念仏に至りますが、それはあくまで手段でしかなく、そこから導き出される境地に彼の理想、真実を見ようとします。
でも、先の二組の仇討ちの事件に出会い、怒りとか恨みと言うものが、宗教では救い得ない限界にぶつかります。
それと同時に、傀儡子の歌声に「空」の境地を見出します。
宗教よりも、民衆は自ら、暮らしを「遊び」と捉える考え方で、宗教の目指す最高の境地にまで至っていることを実感してしまいます。
鎌倉時代の混乱した民衆の生活と、そこからくる宗教への救いを求める心、様々な宗教家の考え方も絡み、生きてゆくことの意義を考えさせられる一冊です。
物語には、二人の主要な宗教家が登場します。
沙依拉夢というタクマラカン砂漠から陸と海の絹の道を辿って日本にやってきた人物、それと同様に大陸からやってきて鎌倉政権にしっかりと食い込んだ蘭渓道隆禅師です。
これ以外にも、日蓮を初め、多くの当時の宗教家の名前が登場し、教義は同じでも、それぞれの考え方の違い、求めるものの違いが、明確にされてゆきます。
一方、三浦氏を全滅されて、時宗を敵と狙う三浦家村と、その家村に村全体を虐殺の嵐で失い、家村を仇と狙う百姓夫婦が登場します。
更には、この物語で大きな役目を果たす傀儡子の男女が登場します。
沙依拉夢は、「色」の中の「空」を、無我の境地を追求します。その一つとして、念仏や踊念仏に至りますが、それはあくまで手段でしかなく、そこから導き出される境地に彼の理想、真実を見ようとします。
でも、先の二組の仇討ちの事件に出会い、怒りとか恨みと言うものが、宗教では救い得ない限界にぶつかります。
それと同時に、傀儡子の歌声に「空」の境地を見出します。
宗教よりも、民衆は自ら、暮らしを「遊び」と捉える考え方で、宗教の目指す最高の境地にまで至っていることを実感してしまいます。
鎌倉時代の混乱した民衆の生活と、そこからくる宗教への救いを求める心、様々な宗教家の考え方も絡み、生きてゆくことの意義を考えさせられる一冊です。

