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■読者の評価
おすすめ度平均
暫定的人生 おすすめ度
蟹とは癌のこと。同棲中の男性が食道癌になり、その死を看取る話です。
第1部では、治療法を懸命に探し、様々な治療法を求めるのですが、肉体的・精神的に
疲れ果て、ときには彼につらく当たってしまうこともある。1年と少しで彼はとうとう
亡くなります。淡々と抑えめに書いたドキュメンタリーのような文体だったら、苦しくなって
とうてい読めないでしょうが、軽妙に冗談めいて書かれています。本来のユーモアとは
こういうものだと思います。
第3部は彼の菩提寺にお参りし、周辺のお地蔵様に詣でたり、石の採掘跡などをまわる
うちに彼の生き方と、自分の生き方に納得していきます。「一応は職があり男があり、
男は変われど孕まない。産めよ増やせよ、の圏外で農耕民族の落ち着きが身につかない。
人生は暫定的処置の連続、と心得ている。」という風に自己を定位させます。彼の死は
「石の蟹が、石の彼にへばりつくが、相手も石、もはや手出しは出来ない。」というふうに
心の中に受容していきます。
第2部は二つをつなぐ幻想的な中間部。
久しぶりに生と死について真剣に考えさせられました。
なおこの作品は多分に作者の自伝的な小説だと思われます。彼は雑誌の編集者だと言われています。
第3部の舞台は、JR両毛線の岩舟駅・佐野駅あたりがモデルになっています。
第1部では、治療法を懸命に探し、様々な治療法を求めるのですが、肉体的・精神的に
疲れ果て、ときには彼につらく当たってしまうこともある。1年と少しで彼はとうとう
亡くなります。淡々と抑えめに書いたドキュメンタリーのような文体だったら、苦しくなって
とうてい読めないでしょうが、軽妙に冗談めいて書かれています。本来のユーモアとは
こういうものだと思います。
第3部は彼の菩提寺にお参りし、周辺のお地蔵様に詣でたり、石の採掘跡などをまわる
うちに彼の生き方と、自分の生き方に納得していきます。「一応は職があり男があり、
男は変われど孕まない。産めよ増やせよ、の圏外で農耕民族の落ち着きが身につかない。
人生は暫定的処置の連続、と心得ている。」という風に自己を定位させます。彼の死は
「石の蟹が、石の彼にへばりつくが、相手も石、もはや手出しは出来ない。」というふうに
心の中に受容していきます。
第2部は二つをつなぐ幻想的な中間部。
久しぶりに生と死について真剣に考えさせられました。
なおこの作品は多分に作者の自伝的な小説だと思われます。彼は雑誌の編集者だと言われています。
第3部の舞台は、JR両毛線の岩舟駅・佐野駅あたりがモデルになっています。
う〜ん、蟹かぁ おすすめ度
蟹とは、キャンサー、癌のことです。
荻野アンナくらいの年齢の、ちょっとさばけてるイイ女の陰には、
年上やり手の男が寄り添ってます。そのことを、チョット年下の女(わたし)は
さみしく思います。デキル自由な女は、ファザコンが多い!?そんなことはあるまいに。
年齢差があれば、病や老化や、看取りまで付き合うことになる。
大切な彼の癌の闘病。荻野アンナもふつうの女性だなぁと思うばかり。熟年になったら
若くて健康で、やさしくかしずいてくれる男がいいですよーと教えてあげたい。
生病老死、みんな、みんなに必ずやってくるものだし、仕方ないですよね。
荻野アンナくらいの年齢の、ちょっとさばけてるイイ女の陰には、
年上やり手の男が寄り添ってます。そのことを、チョット年下の女(わたし)は
さみしく思います。デキル自由な女は、ファザコンが多い!?そんなことはあるまいに。
年齢差があれば、病や老化や、看取りまで付き合うことになる。
大切な彼の癌の闘病。荻野アンナもふつうの女性だなぁと思うばかり。熟年になったら
若くて健康で、やさしくかしずいてくれる男がいいですよーと教えてあげたい。
生病老死、みんな、みんなに必ずやってくるものだし、仕方ないですよね。
食道癌に倒れた彼「パタさん」との、二人三脚の闘病記。 おすすめ度
ガンと人との闘いは数多く本になっている。
どれが優れていて、どれが稚拙かなどと優劣をつけられるものではない。
人の死を扱い、生きざまを綴る真実は、等しく重いと思う。
といいながらも評価を“5”とするのは、そこここに、著者の作家としての本能が窺がえるからだ。
「つらい」はあっても「悲しい」はない。「泣く」もない。
淡々と自分の気持ちをつづり、ヒステリーを起こして自棄になる様を告白する。
楽しい思い出を反芻し、去年と同じことをしようとしても、身体が利かず、できなくなってゆく
「パタさん」を見つめる。
病を見つめ、療法に迷い、愛する人を失う不安に駆られる。
死の影に怯えながら、仕事をこなし、介護が必要な両親を支え、パタさんの闘病を支える。
赤裸々に語られる日々は、壮絶の一語につきる。
著者は、「パタさん」と出会い、ともに暮らした。
しかし、幽明境を異にした今、それが墓の下であっても、再び共に眠ることはないのだろう。
傍目にはそれが、悲しい。
どれが優れていて、どれが稚拙かなどと優劣をつけられるものではない。
人の死を扱い、生きざまを綴る真実は、等しく重いと思う。
といいながらも評価を“5”とするのは、そこここに、著者の作家としての本能が窺がえるからだ。
「つらい」はあっても「悲しい」はない。「泣く」もない。
淡々と自分の気持ちをつづり、ヒステリーを起こして自棄になる様を告白する。
楽しい思い出を反芻し、去年と同じことをしようとしても、身体が利かず、できなくなってゆく
「パタさん」を見つめる。
病を見つめ、療法に迷い、愛する人を失う不安に駆られる。
死の影に怯えながら、仕事をこなし、介護が必要な両親を支え、パタさんの闘病を支える。
赤裸々に語られる日々は、壮絶の一語につきる。
著者は、「パタさん」と出会い、ともに暮らした。
しかし、幽明境を異にした今、それが墓の下であっても、再び共に眠ることはないのだろう。
傍目にはそれが、悲しい。

