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■読者の評価
おすすめ度平均
星100個でも足りない おすすめ度
貧困に喘ぐ小さな山村が舞台です。村社会独特のしがらみと暗い因習に支配されるこの村では、70歳を迎えた老人は例外なく「楢山」と呼ばれる姥捨て山に捨てられることが掟です。気丈夫で身体の達者な老女・おりんも、70歳の冬のある日、情深い一人息子・辰吉に背負われて「楢山」を目指しますが・・・・。
子が親を捨てることを強要され、まさに今捨てようとする。そんな哀し過ぎる一刹那においてもなお、親子は親子たり得るという厳然たる真実を、これほど美しく描き切った小説が他にあるでしょうか。
たった380円の本で、小一時間で読める短編小説ですが、私はこの本を一生手放さないでしょう。
三島由紀夫など大文豪が激賞したのも頷ける、日本文学史上稀に見る超名作です。
子が親を捨てることを強要され、まさに今捨てようとする。そんな哀し過ぎる一刹那においてもなお、親子は親子たり得るという厳然たる真実を、これほど美しく描き切った小説が他にあるでしょうか。
たった380円の本で、小一時間で読める短編小説ですが、私はこの本を一生手放さないでしょう。
三島由紀夫など大文豪が激賞したのも頷ける、日本文学史上稀に見る超名作です。
人生永遠の書 おすすめ度
私の世代(60年代生)は、純文学、とくに日本純文学を読みもせずにバカにする世代だった。私もその一人だった。それでも文学的素養をつけようと漱石や太宰治などを読んでみたが、正直言って、さほど感激しなかった。私の知的(?)根拠地はビートルズ、ディラン、ドアーズ、ボウイといったロック・ミュージシャン達だった。文学はノロくて退屈なうえ、自分の問題として読めなかった。実につまらぬ事を意味ありげに悩んでいる......アホか、というのが我が日本文学観だった。そんな私を、齢三十を過ぎた時点で「やはり文学というものはバカにできない。あまりナメてはいけないものなんだな。」と気付かせてくれたのが、なにげなく手に取った本書だ。人生最大の衝撃というと大袈裟に聞こえるかも知れぬが事実なのだから仕方がない。とにかく驚愕した。すべて傑作なのだが、とくに「東京のプリンスたち」が凄かった。これはケルアックの傑作「路上」を僅か数十ページで軽々と凌駕していると思う。深沢七郎は正宗白鳥の弟子のように思われているが、両者の文学観はまったく異なっている。深沢が自身の文学上の師としてあげていたのは武田泰淳である。深沢は、人間のあからさまな実相を描くことなどを目的としてはいない。コリン・ウィルソン流に言えば「記述者」ではなくて「説明者」なのだ。その世界観をドストエフスキーのように登場人物の長広舌によって説くのではなく「物語」として展開しているのだ。カフカに似た方法だ。内容は「世界観否定の世界観」「物語否定の物語」とでもいうべきだろうか。やはり荘子思想に酷似している。これは当時の音楽、美術など全ての分野に共通する精神であり、文学では世界中で深沢が一番見事なのではなかろうか。「土に根ざした文学」などというのは全くの誤解であろう。
主題 勘違い では おすすめ度
皆さん,この作品を勘違いしていないか。ころは奇妙な話でもなく,著者がいたずらにセンセーショナルな体に走った作品でもない。著者は婆さんの熱心さを,ひたむきさを表したに過ぎないのだ。そう思って書いてみたら,世の中の反応は全く異なったもので,著者自身驚いたという。
涙なくしては読めない おすすめ度
これほど平易な文章で、これほど凄みのある文章を読んだことはない 日本文学史上、最高の名作のひとつであると思う。映画はリアリティーがあったが、悲惨さばかり強調しすぎて、今ひとつだった 著者はこの作品で母親の姿に聖母マリアのイメージを重ね合わせて描いたという。出版当初、大変な評判を呼び、フランス語に翻訳されたとか。でも現在は洋書では出版されてないらしい。非常に残念である。日本ブームとかなんとかで、多くの外国人が日本文化を勉強しているが、彼らにもっとも読んでもらいたい一冊である。これは日本における一つの宗教のかたちである。
これはフィクションではない おすすめ度
日本文学史上に残る名作です。
しかし、この本は誤解を受けやすい。なぜなら、この村は作者深沢七郎の創作であって、ひとつのお伽噺と読まれてしまいがちだからである。老人病院や老人ホームの現状を知る方なら誰でも、この話は現代日本において紛れもない現実の話であることはすぐに了解できるだろう。
当時アンチ・ヒューマニズムの作家と考えられていた深沢の本作が、現代における「姥捨て」を考えるきっかけになる、という意味では、まさしく50年が経過してこの作品の位置づけは変わったのである。
それはそうと、この作者の「風流夢譚」、もう世に出ることはないのだろうか。何らかのかたちで復刊を希望したい。
しかし、この本は誤解を受けやすい。なぜなら、この村は作者深沢七郎の創作であって、ひとつのお伽噺と読まれてしまいがちだからである。老人病院や老人ホームの現状を知る方なら誰でも、この話は現代日本において紛れもない現実の話であることはすぐに了解できるだろう。
当時アンチ・ヒューマニズムの作家と考えられていた深沢の本作が、現代における「姥捨て」を考えるきっかけになる、という意味では、まさしく50年が経過してこの作品の位置づけは変わったのである。
それはそうと、この作者の「風流夢譚」、もう世に出ることはないのだろうか。何らかのかたちで復刊を希望したい。

