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■読者の評価
おすすめ度平均
びっくりな内容です・・ おすすめ度
この本に肯定的な意見が多いので少数派になってしまいますが、私はガッカリしました。
暴力的発言&暴力が多くて、「これが仏教なのか!?」と衝撃を受けてしまいました。
お釈迦様は怒りを最も悪いこととして、怒りや暴力をいかなる理由でも正当化していなかったと思います。この本にあるような怒鳴り声や暴力が本当に必要なのか疑問でした。
“禅問答”なんて言葉がありますが、この本の様子では“問答無用”です。
永平寺さんが、本当にこういう暴力行為を“修行”という名目で行っているのか、本当はお寺に聞いてみたいです。忍耐は人間にとって大事だけど、他人から蹴り飛ばされたりする理不尽な行為、私ならNOと言いたいです。
暴力的発言&暴力が多くて、「これが仏教なのか!?」と衝撃を受けてしまいました。
お釈迦様は怒りを最も悪いこととして、怒りや暴力をいかなる理由でも正当化していなかったと思います。この本にあるような怒鳴り声や暴力が本当に必要なのか疑問でした。
“禅問答”なんて言葉がありますが、この本の様子では“問答無用”です。
永平寺さんが、本当にこういう暴力行為を“修行”という名目で行っているのか、本当はお寺に聞いてみたいです。忍耐は人間にとって大事だけど、他人から蹴り飛ばされたりする理不尽な行為、私ならNOと言いたいです。
暴力は絶対にいけない おすすめ度
古参の雲水の意味もない暴力には驚いた。戸塚ヨットスクールは非とされ、永平寺は
是とされるのだろうか。としたら、宗教の危なさを感じた。
人間の感情がむき出しにされてしまうことが、高遠な寺でなされていることは悲しいことだ。
道元は、暴力を肯定してはいないだろう。
筆者は、このことも暗に伝えたかったのではないでしょうか。
是とされるのだろうか。としたら、宗教の危なさを感じた。
人間の感情がむき出しにされてしまうことが、高遠な寺でなされていることは悲しいことだ。
道元は、暴力を肯定してはいないだろう。
筆者は、このことも暗に伝えたかったのではないでしょうか。
永平寺のご様子は、現代の社会にも通じます。 おすすめ度
厳しいご様子は、色々な方が記されています。果たして、得たものは何か?変わったことは?しっかりと記されています。体にまった蚊をたたき殺す直前に一瞬、躊躇するようになった。必要以上多く食べることをしなくなった。必要以上に深く考えることもしなくなった。泣ける男になった。随分軽いことかなとも、思いましたが、そうかもしれません。現代、不況の真っ只中にある場合、それ、仕事することがもう修行かもしれません。永平寺の門をたたいた筆者が体験された、究極の食事。究極の掃除。究極の睡眠。それが現代社会もそうなりつつあるに違いありません。その意味で、現代に生きられる特に若い世代には必読書であることでしょう。派遣社会を生きる上において、いつ首になるのかわからない社会。それは、もう、体をたたかれる以上に厳しいかもしれません。現代社会に生きる道元禅師の言葉。特に私は、私の家にも色紙になっている言葉。柄杓の底に残ったわずかな水にも法を説き、谷川へ戻した。との意味の、「杓底の一残水、流れを汲む千億人」を最後に記します。
自分探しの終焉 おすすめ度
本書は自分探しに世界を旅する人々にお薦めである。
本当の自分など今座っているこの足元にしかなく、
人は所詮食べて排泄するだけの存在ということが
よくわかるから。
本当の自分など今座っているこの足元にしかなく、
人は所詮食べて排泄するだけの存在ということが
よくわかるから。
修行とは「自然に近づくこと」なのではないだろうか おすすめ度
廻廊を 登るにつれて 紅葉濃し 高浜虚子
もっとも印象に残ったのは、永平寺を詠んだこの句から始まるくだりだった。
道元は、『正法眼蔵』谿声山色(けいせいさんしょく)の巻に、こう書いてい
るという。
「たとえ谿(たに)の声や山の色が真理を現わしていたとしても、谿山が谿山
であることを見極める正しい修行をしなければ、その真理を見、聞くことはで
きない」
野々村馨はそのあとに書いている。
「永平寺の生活は、現代社会の生活から遥かに後方を歩いている。この生活は
また、自分の体を自然に向けて押し広げる生活であり、体が自然に近づくと自
然のいろいろなものが感じ取られ、驚かされる」
人間は本人が好むと好まざるにかかわらず、自然のなかにあって、自然の一部
にすぎない。それをうっかり忘れちゃっているような、現代社会。もしかして、
おかしな犯罪が最近多いのは、自然から離れすぎちゃっているせいかも?
自然は人の言うままになど動かない。人は自然をもっと見つめて、もっと自然
に近づいたほうが、自然のなかに身を任せたほうがいろいろなものが見えてく
るのかもしれない。だからといって、川の護岸工事なんかしなくてもいいとか、
みんなが冬に暖房もなくがたがた震えていればいい、というわけではないのだ
けれど。でも、永平寺の雲水さんたちは、自然を見つめて自然に近づくような
生活をしているから、四季のうつろいの美しさという、自然からのささやかな
ご褒美を肌で感じ取り楽しむことができるのだろう。
もっとも印象に残ったのは、永平寺を詠んだこの句から始まるくだりだった。
道元は、『正法眼蔵』谿声山色(けいせいさんしょく)の巻に、こう書いてい
るという。
「たとえ谿(たに)の声や山の色が真理を現わしていたとしても、谿山が谿山
であることを見極める正しい修行をしなければ、その真理を見、聞くことはで
きない」
野々村馨はそのあとに書いている。
「永平寺の生活は、現代社会の生活から遥かに後方を歩いている。この生活は
また、自分の体を自然に向けて押し広げる生活であり、体が自然に近づくと自
然のいろいろなものが感じ取られ、驚かされる」
人間は本人が好むと好まざるにかかわらず、自然のなかにあって、自然の一部
にすぎない。それをうっかり忘れちゃっているような、現代社会。もしかして、
おかしな犯罪が最近多いのは、自然から離れすぎちゃっているせいかも?
自然は人の言うままになど動かない。人は自然をもっと見つめて、もっと自然
に近づいたほうが、自然のなかに身を任せたほうがいろいろなものが見えてく
るのかもしれない。だからといって、川の護岸工事なんかしなくてもいいとか、
みんなが冬に暖房もなくがたがた震えていればいい、というわけではないのだ
けれど。でも、永平寺の雲水さんたちは、自然を見つめて自然に近づくような
生活をしているから、四季のうつろいの美しさという、自然からのささやかな
ご褒美を肌で感じ取り楽しむことができるのだろう。

