わたしたちに許された特別な時間の終わり
作者 岡田 利規
価格 1,365 円
出版社名 新潮社
出版年月 2007/02/24
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    第2回 大江健三郎賞  受賞
「あ、始まったんだね、やっぱり戦争」。イラク空爆の時、渋谷のラブホで4泊5日…。岸田國士戯曲賞受賞で注目の“チェルフィッチュ”こと、演劇界の新鋭による待望のデビュー小説集。

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■読者の評価     おすすめ度平均

小説として、どうなのか。       おすすめ度
芝居で観れなかったので、
本で読んでみようと思いました。

独白的な文章だけでつづられ、
会話はない。
2作の中編。

1作目の『三月の五日間』は、
ある男と女が、
出会ってから、
渋谷のラブホテルで一緒に過ごした、
という話。
その後にも、先にも、
続くドラマはない。
2作目は『わたしの場所の複数』は、
主人公の女が、
頭の中で思いついたことをのべつまくなしに書きたてる。
それは、
誰もがしてることであり、
何の変哲もない日常に起こりうる、
特別ではないこと。
その積み重ねで、
時に人と出会い、
時に何かに気づいたりする。
ただ、こちらはくどすぎて、
読むのが大変だった…。

総じて、
文学である以上、
読ませることが必要だと思う。
ここまでくどくて、
読みづらいというのは、
使命感以外に、
最後まで読むことが難しかった。
やはり、舞台で聞きたい言葉なのかな、と思った。


フツーの小説だと思って読むと抵抗が多かろう       おすすめ度
小劇場演劇を割とそのまま小説にした感じが色濃い。
個人的にはニート世代の厭世的な気分が良く出ていると思うが
「静かな演劇」などを観たことがない読者が
フツーの小説だと思って読むと抵抗が多かろう。

若者言葉饒舌体も、変なリアリズムも、
文章や物語のリズムを敢えてずらす手法も
舞台の上である空気を造るためのテクニックであり
確かに戯曲を読むのと同じように
三次元の想像が出来なければまず楽しめない一冊。


大江賞に見合う駄作       おすすめ度
第2回大江健三郎賞受賞作らしい。第1回受賞作は読んでいない(何だったかも覚えていない)。今回は、「それに釣られて」読んでみた。
駄作である。何が言葉の機能か? 保坂和志までが褒めている。高橋源一郎などは、「イラク戦争についての最も優れた日本語の小説だ」とまで評している。オイ、オイ。

アメリカ合衆国のイラク空爆前後の時期、東京都の繁華街渋谷が舞台。しかし、一言で言えば若者風俗にイラクの戦も使ってみましたというだけである。
話者の思わせぶりな視点のチェンジや、現代若者言葉の使用や、淡々としているが饒舌体風(その実、所謂饒舌体ではないが)の文体が前衛もどきの雰囲気を醸し出していると考えるナイーヴな読者もいるのだろう、多分。こういうのに弱い(わかると思い込んでいる)人もいるのだろうが、2003年の現実、ことさらに2003年のイラク戦争と同期させる必要などはまったくない、うすっぺらな言葉の連なりとしか言う他はない駄作だ。電車で騒ぎ、渋谷をうろつく若者が、イラク戦争などに何らの関心もなく、デモ行進なんてものはダサと思っているし、その行動原理は理解の範囲外であるという厳然たる事実は、事実である以上、それを批判してもこの際意味はない。しかし、低俗愚かな彼らの風俗を描いていても、優れた小説は稀にはあるし、それを通して戦争状態のニッポンの現実を描くことも可能である。本書は愚かな人間の貧相な言語活動(老若男女概ね誰しもそうだ)の可能性をではなく、誠に中途半端なフィーリングを描いているに過ぎない。保坂評は全文を読んでいるのではなく、本書オビの惹句を見ているだけであるが、この作品に「これを書いた人の存在はずっと消えない」ほどの価値があるとは到底思えない。少なくともこの作品はすぐに消え去る消費物であろう。

こういうのを「わかる」ことが、文学・小説をわかることではない。こういうのを「わかる」ということが、小説の衰退を招いている元凶のひとつであるとすら言っておいてもよい。作家も読者もお互いを甘やかし、衰退するままに任せ、閉じられたサークル化が進んでいるのである。
いずれにしても、近年の大江に見合っているではないか。


この「リアル」な日常から何が生まれるのだろう       おすすめ度
大江健三郎賞を受賞したということでこの本をよむ人は少なくないでしょう。私(65歳)もその一人。で、言葉の力に期待しておられる大江さんだけあって、高質な文学と評価しておられるようです。

ふたつの中編小説「三月の5日間」「わたしの場所の複数」からなっています。

ふたつとも、今風な若者言葉が続いていたかと思うと、突然話し手が別の人に変わったりして最初は戸惑いますが、それにはすぐ慣れて話を追っていけるようになります。そういったことをはじめとして、これら小説のテクニックは確かに優れているように感じます。

しかし、そういう技法を使って描かれるその中身では、特に何かをあからさまに、明示的に主張していません。それでいて、何かを訴えているようには確かに思われます。現代の若者が置かれている特徴ある状況の中で、善し悪しとは別に何とか生きようとしている姿は描かれます。一種のリアリズムです。そこから、何を汲み出すかは、読者の読み方如何にかなり依存するのでしょう。そして、それら汲み出されたものを、誰かが集めて眺めるとボーッとしたある固まりになっている、といった種類のものかも知れません。

実際にその固まりがこの本の場合に何なのか。私は未だに分かりません。高橋源太郎氏は「『イラク戦争』について日本語で書かれた、もっとも優れた小説だ。いや、もっと、それ以上のものだ」と言っておられます。しかし、この小説、「三月の5日間」のことでしょうが、イラク戦争がなければ全く違ったシチュエーションになったでしょうが、イラク戦争が、この小説によって何か変わるのか、といえば変わることなく、主人公達や読者、とくに若者たちの生活が何か変わるかも知れない、ということくらいしか見えてきません。

小説技法としては、確かに高いでしょうし、それに十分堪能する人もいるでしょう。しかし、文学としては未知数でしょう。大江賞には、奨励賞的性格もあるようですので、それで十分なのかも知れません。

本の名前「わたしたちに許された特別な時間の終わり」は、読後に考えると、これら2編に描かれたようなリアルな日常、つまりある個別な空間において特別に許された時間も限りがあって、そこから何ごとかが生まれうる、というようなことを思わせます。


この表現は狙いすぎ       おすすめ度
「演劇界の芥川賞」第49回岸田國士戯曲賞の小説化というふれこみとタイトルに惹かれて読んだけど、読破はつらく、読後になにも残りませんでした。

2篇の小説ですが、どちらも人称や時間軸が固定されておらず、書き方が特徴的です。
いきなり視点が、主人公の女性の見てる現実から、脳内の思考に、あるいはもうひとりの男性の視点にかわり、さてまたパソコンの中のブログの主人公に変わる。

単語単語、ときどき狙い澄まして使ってくるけど、すごいときは丸々1ページ分くらい、句読点の「。」が一つだけの、ダラダラした言葉があったりします。

2篇とも、二極化社会ですでに沈んでいる若者を書いていますが、著者は若いのかと思ったら1973年生まれで、その歳にしてこの表現は狙いすぎ。ナチュラルにぶっ飛んでるのかもしれませんが、とにかくイタイ。

社会科見学として読破しましたが、読む必要ないです。
読後感には達成感と軽い疲労感のみ。