|
|
|||||||||||
|
||||||||||||
|
|
||||||||||||
???主人公の「わたし」には、自分と似ても似つかない絶世の美女の妹ユリコがいた。「わたし」は幼いころからそんな妹を激しく憎み、彼女から離れるために名門校のQ女子高に入学する。そこは一部のエリートが支配する階級社会だった。ふとしたことで、「わたし」は佐藤和恵と知り合う。彼女はエリートたちに認められようと滑稽なまでに孤軍奮闘していた。やがて、同じ学校にユリコが転校してくる。
???エリート社会に何とか食い込もうとする和恵、その美貌とエロスゆえに男性遍歴を重ねるユリコ、そしてだれからも距離を置き自分だけの世界に引きこもる主人公。彼らが卒業して20年後、ユリコと和恵は渋谷で、娼婦として殺されるのだった。
???いったいなぜ、ふたりは娼婦となり、最後は見るも無残な姿で殺されたのか。そこに至るまでの彼女たちの人生について、「わたし」は訳知り顔で批判を込めて語っていく。しかし、ユリコと和恵の日記や、ふたりを殺害した犯人とされる中国人チャンの手記が発見されるに従い、主人公が本当に真実を語っているのか怪しくなってくる。つまり「わたし」は「信用できない語り手」だということが明らかになってくるのだ。その主人公に比べ、日記であらわになるユリコと和恵の生き様は、徹底的に激しくそして自堕落である。グロテスクを通り越して、一種の聖性さえ帯びている。
???読み手は何が真実か分からなくなるかもしれない。しかし読み終わったとき、この物語に不思議な重層性を感じるだろう。(文月 達)
これを読んで、人間のどろどろした部分、女の怖さ、いやらしさを描ききってる、なんて感想を漏らすのは、幼稚だと思う。この社会で何十年も社会人をやっていれば、結婚して一人の女と嫌でもずっと向き合っていれば、誰だってそんなこと骨身に沁みて感じているはず。
それにしても慶應付属の子女たちから抗議は出なかったのだろうか。私たちいくらんでもこんなに卑俗で劣等な人間じゃないわよ、と。
思春期の娘が、友達の家に遊びにいって、建付けが安普請だという感想を抱くだろうか?これはまさに通俗ななおばさんの視線です。人間を戯画化して描いて大人の鑑賞に堪えるには、よほどの知性が必要。筆者は自分以外の人間を、どこかで舐めているのではないですか?
和恵の日記である「第7章 肉体地獄」を読むためだけでも,この分厚い本に挑戦する価値はあると思う。分厚いけど,すぐに夢中になって,結局1日で読んでしまった。
自分が和恵と似すぎていて、リアルさは半端じゃなかったです。
今大学生だけど社会に出ると女性差別が激しいって聞いてるし心配だなあ〜とか、
自分を外見だけで判断したら女性のヒエラルキーの最下層だなあとか、
努力はどこまで才能やら生育環境やらに対抗出来るのかなとか、
そういった普段は深層意識下にある漠然とした不安をわざわざごっそり持ち上げて「これを見ろ!」って言われているような。
正直就活中の外見に自信の無い女子は読まない方が良い気がします。
桐野氏のこの作品が出てきたことは大きな救いでした。すかすかのドキュメンタリーと比較すれば、事件に対する読者の好奇心に充分に応えるものとなっています。女性の心理状態は作者の想像力の世界であり、フィクションであることは当然のことです。しかし、事件に深い興味を持つ読者に、ひとつの解釈を示してくれたことは確実だと思います。

