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■読者の評価
おすすめ度平均
よくできているだけに腹が立つ。一応言わせてもらうけどサァ… おすすめ度
モネには『日傘の女』と呼ばれる作品が数点あり、いずれも若くして亡くなった妻カミーユの面影を追っているとされるが、本書表紙のものが一番古い。カミーユ本人をモデルにした『日傘の女』はこれだけで、しかも唯一顔が描かれている。また息子のジャンが描きこまれているのも、これのみ。
本作品で若くして亡くなった女性と言えば、大學の実母。とすれば、表紙絵に描かれた少年は大學自身ということになる。そしてこの物語における大學には、実母以外に何人もの「母」がいる。まず父を女手一つで育て上げ、さらに大學の養育をも引き受けた祖母。次に義母スチナ。さらに「文学上の母」とも言うべき与謝野晶子。それぞれの「母」に対して与えられた「豪胆と慈愛をあわせ持った女」(p6)、「ただ夫に連れ添うだけのお内儀などではなかった」(p69)などの形容には、明らかに一貫性がある。そして誰よりも、大學を夢中にさせるじゃじゃ馬娘フエセラ。
帯の惹句に「恋と詩と革命」とあるが、実際、この物語にどうやら「愛」はないようだ。大學はフエセラと逢瀬を遂げるが、一度として「愛」を呟きはしない。フエセラは童貞の少年に性の手ほどきをし、通過儀礼を助ける媒介だ。「あなたはわたしがほしいのね」「もちろんです、もし許されるなら」(p499)。しかもこれはフエセラが失意と不安の極限にある状況下での逢瀬であり、大學は相手の弱みに付け込んだと言われても仕方がない(全共闘オヤジたちもバリの中で同じようなことをしたという説があるけど…)。マザコン男の無自覚な酷薄さ、とでも言うか…ニザンとは似ても似つかない。
帯の惹句、「戦争はいかが?」とは誰が言っているのか? 女言葉だからといって、まさかフエセラと誤解するバカはいまい。これを口にした者の名前は、そのすぐ上にデカデカと印刷されているではないか。通過儀礼の舞台作りに戦争や革命を持ち出されては、周りが迷惑すると思うけどネ。
本作品で若くして亡くなった女性と言えば、大學の実母。とすれば、表紙絵に描かれた少年は大學自身ということになる。そしてこの物語における大學には、実母以外に何人もの「母」がいる。まず父を女手一つで育て上げ、さらに大學の養育をも引き受けた祖母。次に義母スチナ。さらに「文学上の母」とも言うべき与謝野晶子。それぞれの「母」に対して与えられた「豪胆と慈愛をあわせ持った女」(p6)、「ただ夫に連れ添うだけのお内儀などではなかった」(p69)などの形容には、明らかに一貫性がある。そして誰よりも、大學を夢中にさせるじゃじゃ馬娘フエセラ。
帯の惹句に「恋と詩と革命」とあるが、実際、この物語にどうやら「愛」はないようだ。大學はフエセラと逢瀬を遂げるが、一度として「愛」を呟きはしない。フエセラは童貞の少年に性の手ほどきをし、通過儀礼を助ける媒介だ。「あなたはわたしがほしいのね」「もちろんです、もし許されるなら」(p499)。しかもこれはフエセラが失意と不安の極限にある状況下での逢瀬であり、大學は相手の弱みに付け込んだと言われても仕方がない(全共闘オヤジたちもバリの中で同じようなことをしたという説があるけど…)。マザコン男の無自覚な酷薄さ、とでも言うか…ニザンとは似ても似つかない。
帯の惹句、「戦争はいかが?」とは誰が言っているのか? 女言葉だからといって、まさかフエセラと誤解するバカはいまい。これを口にした者の名前は、そのすぐ上にデカデカと印刷されているではないか。通過儀礼の舞台作りに戦争や革命を持ち出されては、周りが迷惑すると思うけどネ。
才気煥発 おすすめ度
二十歳の僕(堀口大學)が“アデンアラビア風”に語り始め、
アステカ文明や未だ見ぬパリに想いを馳せながら
外交官である父親の任地・メキシコで展開される物語は、
本の帯コピーにも記されている通り「恋と革命と詩」。
明治と19世紀。二つの時代の終わりを
「革命」が潰えてゆくマデロ政権末期のメキシコで
体験する青年・大學の目線&心象描写が、
舞台装置が“ドラマティック”なわりに、
妙に静謐な印象を受けたのは、文体のせいなのか。
(※内乱による弾雨激しい市街戦の中を走り回る場面まであるのに)
しかし、どんなテーマで(何処を舞台に)書いても
矢作俊彦は、平凡な仕事はしない。
まったく呆れかえるほどの「才気煥発」さだ。
従来作と作風&テーマがガラッと変ったので
見逃されがちなのかもしれないが、
よく読めば、この作品でも
何時もの華麗な比喩、秀逸な会話(台詞)は健在。
『マイクハマー〜』以来のファンは勿論、
矢作の小説に馴染みが無かった人が読んでも普通に楽しめると思う。
アステカ文明や未だ見ぬパリに想いを馳せながら
外交官である父親の任地・メキシコで展開される物語は、
本の帯コピーにも記されている通り「恋と革命と詩」。
明治と19世紀。二つの時代の終わりを
「革命」が潰えてゆくマデロ政権末期のメキシコで
体験する青年・大學の目線&心象描写が、
舞台装置が“ドラマティック”なわりに、
妙に静謐な印象を受けたのは、文体のせいなのか。
(※内乱による弾雨激しい市街戦の中を走り回る場面まであるのに)
しかし、どんなテーマで(何処を舞台に)書いても
矢作俊彦は、平凡な仕事はしない。
まったく呆れかえるほどの「才気煥発」さだ。
従来作と作風&テーマがガラッと変ったので
見逃されがちなのかもしれないが、
よく読めば、この作品でも
何時もの華麗な比喩、秀逸な会話(台詞)は健在。
『マイクハマー〜』以来のファンは勿論、
矢作の小説に馴染みが無かった人が読んでも普通に楽しめると思う。
明るい明日が見えない現代と対比させると、どうよ‥。 おすすめ度
詩人・堀口大学の若き日の姿を描く秀作。
明治もそろそろ終わろうかという時代。“日清日露の戦役を経て、世界の一等国入りを果たした”
日本の外交官である父に従い、メキシコ革命のさ中を、大学は首都の日本公使館で過ごした。
大統領の姪御に恋し、若き血をたぎらせた大学を描きつつ、首都の混乱と騒擾をパリ・コンミューンの
血の一週間になぞらえて、「悲劇週間」と題したのだろうか。
維新から半世紀あまり、薩長に蹂躙された東北諸藩の人びとの苦難の道は、このメキシコまでも
続いていたのに驚く。
大学の父自身も長岡の出身であり、公使館の老庭師ほか、会津の出身者もこの地に何人かあった。
「官軍薩摩兵のやったことを思えば、飯盛り山は悲惨ではあっても凄惨ではない‥」と会津城下蹂躙の
様子を語らせ、「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬる時には死ぬがよく候」と、
諦念を語らせる。
会津やパリの惨状をこのメキシコ市とダブらせる一方、「人の心より高くに空も天もありはしません」
「人の叡智より高く飛べる機械はない」などと、与謝野晶子や大学の父に語らせ、信念と
未来への期待を説く。
悲劇の現実と、人の心の強さや明日へ懸ける思いとの交錯が織りなす綾が、”風が見える”
モネの絵(装丁)と相俟って美しい。
明治もそろそろ終わろうかという時代。“日清日露の戦役を経て、世界の一等国入りを果たした”
日本の外交官である父に従い、メキシコ革命のさ中を、大学は首都の日本公使館で過ごした。
大統領の姪御に恋し、若き血をたぎらせた大学を描きつつ、首都の混乱と騒擾をパリ・コンミューンの
血の一週間になぞらえて、「悲劇週間」と題したのだろうか。
維新から半世紀あまり、薩長に蹂躙された東北諸藩の人びとの苦難の道は、このメキシコまでも
続いていたのに驚く。
大学の父自身も長岡の出身であり、公使館の老庭師ほか、会津の出身者もこの地に何人かあった。
「官軍薩摩兵のやったことを思えば、飯盛り山は悲惨ではあっても凄惨ではない‥」と会津城下蹂躙の
様子を語らせ、「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬる時には死ぬがよく候」と、
諦念を語らせる。
会津やパリの惨状をこのメキシコ市とダブらせる一方、「人の心より高くに空も天もありはしません」
「人の叡智より高く飛べる機械はない」などと、与謝野晶子や大学の父に語らせ、信念と
未来への期待を説く。
悲劇の現実と、人の心の強さや明日へ懸ける思いとの交錯が織りなす綾が、”風が見える”
モネの絵(装丁)と相俟って美しい。
異国情緒溢れる作品です。 おすすめ度
メキシコ革命を題材とした作品としては、
ジョン・リードの『反乱するメキシコ』が有名ですが、
パンチョ・ビリャやエミリアーノ・サパタなど農民の視線に根ざした描写です。
一方、『悲劇週間』は在墨日本公使の子息である堀内大學が主人公。
彼が関わる富裕層の優雅な生活が幻想的に描写されていて楽しめました。
歴史小説というとヴィンテージな香りがしてすらすら読み進めませんが、
この歴史小説は語り口が斬新なのでとても新鮮でした。
ジョン・リードの『反乱するメキシコ』が有名ですが、
パンチョ・ビリャやエミリアーノ・サパタなど農民の視線に根ざした描写です。
一方、『悲劇週間』は在墨日本公使の子息である堀内大學が主人公。
彼が関わる富裕層の優雅な生活が幻想的に描写されていて楽しめました。
歴史小説というとヴィンテージな香りがしてすらすら読み進めませんが、
この歴史小説は語り口が斬新なのでとても新鮮でした。
革命下で おすすめ度
堀口大學、小、中学校の教科書に彼自身そして彼が訳した詩が載っていた。
そして少女期に読んだ本の訳者の名「大學」というのが印象に残りよく覚えている。
「私の耳は貝の殻、海の響きをなつかしむ」の人が革命のさなかメキシコにいた事や、彼の家族が大統領一家をかくまっていたのは一部ではよく知られた話しではあるが、彼を主人公とした小説があるとは知らなかった。
資料が少ない中、よく調べてあると思う。恋愛の話しの殆どはおそらくフィクションであるとは思うが、外交官の息子として歴訪した様々な地で、エキゾチックな女性たちとのそういったときめくような時間を多々過ごしたのであろう。そんなロマンチックな経験が彼にあのような詩と、原文以上に魅惑的な詩の翻訳を可能にさせたのであろう。
矢作氏はよく調べたとは思う。文章のつじつまの合わないところや、おそらく勘違いされているようなところや、設定の無理なども多々あるにしろ、堀口大學という人を取り上げこれだけの小説を書いた手腕は高く評価されるべきである。
そして少女期に読んだ本の訳者の名「大學」というのが印象に残りよく覚えている。
「私の耳は貝の殻、海の響きをなつかしむ」の人が革命のさなかメキシコにいた事や、彼の家族が大統領一家をかくまっていたのは一部ではよく知られた話しではあるが、彼を主人公とした小説があるとは知らなかった。
資料が少ない中、よく調べてあると思う。恋愛の話しの殆どはおそらくフィクションであるとは思うが、外交官の息子として歴訪した様々な地で、エキゾチックな女性たちとのそういったときめくような時間を多々過ごしたのであろう。そんなロマンチックな経験が彼にあのような詩と、原文以上に魅惑的な詩の翻訳を可能にさせたのであろう。
矢作氏はよく調べたとは思う。文章のつじつまの合わないところや、おそらく勘違いされているようなところや、設定の無理なども多々あるにしろ、堀口大學という人を取り上げこれだけの小説を書いた手腕は高く評価されるべきである。

