回天の門 (文春文庫)
作者 藤沢 周平
価格 740 円
出版社名 文藝春秋
出版年月 1986/10
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■読者の評価     おすすめ度平均

本の厚さ分だけ 面白さ満載!       おすすめ度
世の中に、こんな分厚い文庫本があるだろうか?否、それがし 見たことありませぬ。
2.5cmの超ど分厚い文庫本。
しかし、これが面白くてどんどん読めちゃうのである。「日本史」が大嫌いな私でも。
まさに、「清河八郎」物語。

幕末から明治、世の中が一変する頃、
官途へ一片の野心さえ持たぬ草莽(そうもう)の志士がいた。
それは、庄内、酒屋の遊郭狂いの跡取りドラ息子。斎藤元司=後の「清河八郎」。
「維新回天」の夢を一途に追うて生きた清冽な男の生涯。

幕末の15年、こんな天下分け目のものすごいことがこの世にあったのか?と素直に驚いた。「清河八郎? 誰?」ってな感じで、聞いた事など全くありませんでしたが、「へー、実在の人物なんだー」と。読んでいくうちに嵌っちゃいました。
昔 学校の「日本史」で習った言葉が次々に出てきました。
大政奉還1867・明治維新、ペリー来航1853、鎖国、アヘン戦争1840、江戸大地震1855などなど、登場人物も続々。思わず昔の年表を引っ張り出し、確認しながら読んだ。

・「回天」・・時勢を一変させること。衰えた国政を元に返すこと。
・「志士」・・りっぱな志をもつ人。身を捨てて国事に尽くす人。
こんな初めて聞く言葉も勉強しちゃいました。

しかし、驚くのは、
こんな分厚い本でも、最後までドキドキ・はらはらしたこと。
特に最後の10ページから巻末。
「この本が終わるということは、清河八郎が殺されちゃうってことか?」などと、結末までいくことが嫌になりました。

でも、しかし、凄い人物だ。
山形県にある「清河八郎記念館」に行って見たくなったのはそれがしだけか?

■お薦め度:★★★★★(これは120%面白い本です)


☆5つ       おすすめ度
「魁がけてまたさきがけん死出の山 迷ひはせまじすめらぎの道」

司馬遼太郎作品をはじめとする多くの幕末小説や歴史ドラマで描かれてきた清河八郎は、正当な評価、少なくとも好意的な評価を受けて描かれたとは言い難い。
マシな描かれ方をしたところで、せいぜい「100年に一人の逸材であるにも関わらず、自身の才能を恃みすぎ、また策謀を用いすぎるために、ついには大きな仕事は出来ない」というところか。
一言で言えば、清河八郎は「イヤなヤツ」だ。

でも、これまで私はどうにも腑に落ちなかった。
何がって、「魁がけて」の辞世が。
どうしてもそんなイヤなヤツの辞世とは思えない。
もちろん、ノリで作った歌がたまたま辞世になってしまっただけとも考えられるけど、上記のイメージ通りの清河ならもっと小難しい、回りくどい、小賢しい歌ばかり作ってそうなものだ。
にも関わらず実際に遺されたのは、清清しさすら感じる直球ド真ん中のわかりやすい歌。

そのギャップをキレイに埋めてくれたのがこの作品でした。
まさに時代を先駆けた男の人生を丹念に、かつ淡々と、それでいて温かく描いています。
彼に対するイメージが180度変わる人もいるかもしれません。
幕末小説が好きな人は必読の一冊ですね。


幕末の最も早い時期を駆け抜けた男を丹念に描いた本です       おすすめ度
多くの草莽の志士たちによって、改革がなしとげられた幕末ですが、彼らの多くは、権力や資金もなく、自らの思想や弁舌によってしか、人々を動かすことができませんでした。そのため、時に、欺瞞に近いこともなさねばならず、後の人々から、策士・山師あるいは出世主義者と蔑視されることも多い彼らですが、そのような見方をされることの最も多い1人が清河八郎ではないでしょうか。著者は、八郎が残した著作等も引用しながら、彼の足跡を丹念にたどり、八郎自身の思想は首尾一貫したものであり、そのような見方が誤解であることを明らかにしていきます。
著者の市井物に代表されるような明るさはありませんが、幕末の最も早い時期を駆け抜けた男を通して、幕末の状況が描かれた本であり、幕末物の好きな方にお奨めしたい本です。


「新撰組」の時代を多角的に見よう       おすすめ度
口先三寸で薩摩藩士達を討幕に持っていき、伏見寺田屋事件を誘発させた男。一転幕府の金で浪士組を募り、それを攘夷の党に染め変えた男。山師、策士、変節漢。そういう世評にたいし、藤沢周平はそれは「誇張と曲解」があるという。「清河八郎の思想的立場は一貫していて、変節のかけらも見出す事は出来ない。」今年、新選組がクローズアップされる中で、清河八郎という男は悪役に回りがちではある。しかし、彼自身が書いた文章と事実を短念に取材したこの小説を読むと、一人の田舎から出た秀才がひどく生真面目に時代と向きあった一生が浮かび上がる。

浪士組の件はこの小説が九割がた終りかけた頃に描かれる。八郎が実際行動に移すのはこの小説の半分近くにかかってからである。桜田門外の変の報を受け「八郎は幕府という大きな機構が、ずしりと音を立てて滑落したのを感じた。」八郎はそれまでは本気で江戸で文武両道の塾を立ち上げるのを目指していたのである。しかし、時代が彼を突き動かした。いわば70年代の全共闘世代に似ている。八郎たち若者ははテロルに走る。倒すべきは幕府。ふがいないのは各攘夷藩主。八郎に時代は人一倍見えていた。しかし、若さが性急な闘いを求めた。いつの時代も同じなのか。

私はこの作品を読みながらしきりに現代のイラクを考えていた。反米テロ(攘夷運動)、幹部の手を離れ若者が自主的に動く(草莽の志士)。清河八郎の人生は悲しかった。