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■読者の評価
おすすめ度平均
なぜ私「訳」なのか おすすめ度
歎異抄ほど好き勝手に蹂躙されているテクストもないんじゃないか。
教行信証ほど読み解くのに苦労もしないし、原文と適度な注釈があればいいじゃないの。
二三度音読すれば意味も通じてくる。
逆に現代語に直せば意味が逃げる。
自分独自の解釈を披瀝したいのなら、私「註」歎異抄とでもすればよい。
日本思想史のなかで、一二とされる和文の名文を、「訳」するという発想が理解できない。
教行信証ほど読み解くのに苦労もしないし、原文と適度な注釈があればいいじゃないの。
二三度音読すれば意味も通じてくる。
逆に現代語に直せば意味が逃げる。
自分独自の解釈を披瀝したいのなら、私「註」歎異抄とでもすればよい。
日本思想史のなかで、一二とされる和文の名文を、「訳」するという発想が理解できない。
親鸞の時代と現代との共通性。 おすすめ度
不思議に思いましたのは、聖書、論語、仏教の経典などお弟子さんが師の言葉を残す為に文字に現したものです。歎異抄も同じように、親鸞上人の教えを唯円というお弟子さんが綴ったもので、今に至るまで親鸞の思想を伝える役割を果たしております。それをさらに五木さんが現代人にも通じる訳を与え、私にもその一端が理解できるようになりました。最近、仏教に関する書物を目にすることが多いのですが、親鸞の生きた時代は飢饉から飢饉という非常に世情厳しい時代であったようです。そこが現代の日本と似通っており、民衆の求める安心が仏教の教えに見つけられるのではないかと思います。ある時期弾圧を受けながらも、易行の念仏を説いてゆく親鸞の圧倒的な精神の力を感じました。五木さんの私訳、原典、五味文彦(放送大学教授)氏の解説「親鸞とその時代」の構成になっており、五味氏の解説が歎異抄を読み解くのに助けになりました。
念仏 おすすめ度
唯円聖人は、親鸞聖人の愛弟子であり、世相を
嘆かれて、歎異抄をかいた。
これは、お経であり、「いわんや悪人をや」
とかかれたのは、仏の慈悲である。
親鸞聖人は、法然聖人のでしであり、
ブッダは、ヒンドゥー教では、神の生まれ変わりである。
嘆かれて、歎異抄をかいた。
これは、お経であり、「いわんや悪人をや」
とかかれたのは、仏の慈悲である。
親鸞聖人は、法然聖人のでしであり、
ブッダは、ヒンドゥー教では、神の生まれ変わりである。
仏教に関する基礎知識がないとつらいかもです。 おすすめ度
私がまずこの本を手に取ったのは、五木寛之という作家と、仏教の内容に興味を持ったからです。全部は読んでませんが、15ページほど立ち読みしてのレビューになります。
内容ですが、タイトルのとおり歎異抄について五木さんが解説してくれるという形式ではなく、歎異抄の訳になります。そしてその内容は仏教の教えに関するものなので、ある程度の仏教の基本的な知識がないとこの本の面白さは、半分以下になってしまうのではないでしょうか?
よっていきなりこの本を手に取るのではなく、他の本などで仏教的世界観の概要をつかんでおかれれてその上で興味を持ったのならより楽しみめる本だと思います。
主な内容は、「他力本願」です。
内容ですが、タイトルのとおり歎異抄について五木さんが解説してくれるという形式ではなく、歎異抄の訳になります。そしてその内容は仏教の教えに関するものなので、ある程度の仏教の基本的な知識がないとこの本の面白さは、半分以下になってしまうのではないでしょうか?
よっていきなりこの本を手に取るのではなく、他の本などで仏教的世界観の概要をつかんでおかれれてその上で興味を持ったのならより楽しみめる本だと思います。
主な内容は、「他力本願」です。
現代に生きる『歎異抄』 おすすめ度
親鸞(1173?1262)に関しては、たとえば「しぶとくしたたかに『非僧非俗』の一生を貫き、年をとるほど円熟した思想を展開した」(末木文美士『日本仏教史』新潮文庫)人物との評価も可能であるが、同時に、浄土教の三大経典の一つである『大無量寿経』の「大胆きわまる乾坤一擲の読み替え」(大峯顯『君自身に還れ』本願寺出版社)などを行った、日本史上希代の宗教者とも言い得るのではなかろうか。
『歎異抄』は、その親鸞の「日常、若い門弟との間に交わされた、何の飾り気もない率直な対話」(『歎異抄』本願寺出版社刊)などを詳記したもので、親鸞の直弟・唯円房(ゆいえんぼう,1222?1289頃)がその筆者といわれている。実際、「『歎異抄』はいかにも人間くさく」、「その深い人間洞察に離れがたい魅力」(末木前掲書)があり、「仏教書のロングセラー」(同)でもある。
この五木寛之氏の『私訳歎異抄』は、無論、氏の「主観的な現代語訳」であり、従って氏が述べるごとく「唯円が歎く親鸞思想からの逸脱かもしれない」(本書まえがき)。だが、親鸞が『大無量寿経』というテキストを大胆に読み替えたと同様、親鸞思想を説く『歎異抄』を、五木氏が「『私』」にこだわった」(同)大胆な現代語訳を行っても、私は全く違和感を覚えない。大峯氏も語るように「テキストには常に解釈が必要」(大峯前掲書)だからだ。
なお、五木氏の仏教に対する思いについては、「五木寛之こころの新書」シリーズ(講談社刊)の『仏教のこころ』や『自力と他力』などを併読されると、一層の理解が深まると考える。

